以前にもジャマイカに語学留学中に孤児院でボランテイアをしてくれた、N.Nさんが2007年6月にベストケア・ロッジという障害者施設を訪問してくれました。
そのときの様子も含め、今回の彼女のジャマイカ旅行で感じたジャマイカをレポートしてくれましたので、ここにご紹介します。2年近くジャマイカにおられただけあって、深くジャマイカを理解されている彼女のレポートはとても興味深いものがあります。 是非読んでください!
 

今回、ジャマイカ13日間、メキシコ3日間の旅は、本当に中身の濃い、充実したものとなりました。
ジャマイカでは、高校卒業後、レゲエが好き!という理由のみでジャマイカに1年8ヶ月留学、当時通っていた語学学校で出逢ったリサという素晴らしい先生のおうちでお世話になったのですが、 彼女のおうちは全て手作りなんです。リサとリサの旦那さんが35年前にアメリカからジャマイカに移住し、山に土地を買い、開拓し、木材から何から何まで全て自分たちで調達し、現地ジャマイカ人コミュニティと交わり人々の助けも得て建てた、とても素敵なおうちです。途中までしか車で登れないので最後は急な手作りの階段を登ります。息を切らしてやっと辿り着いた家は何回登っても「やっと着いたー!」という感じで愛おしく、バリアフリーには程遠いけれど、エレベーターを当たり前に使っている現代人の私には良いエクササイズになりました。彼らは山に畑も持っているので、毎朝採れたてのマンゴーやバナナやパパイヤを食べられます。これがものすごーーく美味しい!食べ放題です。朝は早起きして山を見下ろしながらハーブティーを飲み、夜の家の明かりに寄ってくる蛾の大群にも、突然頭突きをかましてくるセミにも慣れ、ほとんどスッピンで過ごし、本当にナチュラルな毎日でした。自分でも驚いたのが、慢性的に悩んでいた顔のブツブツが消えていったことです。自分が普段いかに不自然な生活(特に食生活)をしているかを知らされました。そして、私もいつかは都会を離れてこういう暮らしをしたいなと思いました。

17歳の時に、父と「留学の下見」と称して初めてジャマイカへ行く際、父がインターネットで知ったジャマイカを支援する会とコンタクトを取ってくれ、それ以来、事務局長の平松さんとつながりを持たせていただいています。留学時代にも孤児院に連れて行ってもらい子供に折り紙を教えたりしました。

今回は、私が週2回ほど介助に入らせてもらっている利用者さんの子供さんのお古を大量に頂き、それをジャマイカの孤児院に寄付したいということで平松さんにお願いし、現地ボランティアのジャマイカ人女性とコンタクトを取らせてもらいました。

ジャマイカについてさっそくその女性に電話をし、翌日には初めてお目にかかりました。とてもゆっくり分かりやすい英語で話してくれるような気遣いのある女性でした。
施設へはバスで行きました。ジャマイカという国は1962年までイギリスの植民地だった国で、発展途上国の域からは脱したと言われていますが治安も悪く、日本のような先進国とは何もかも違います。留学時代にはコンサートの最中に突然発砲事件が起こる騒ぎの中を走って逃げたこともありました。今回の旅行でも殺傷事件に遭遇してしまい、刺された男性が車に運び込まれているシーンに出逢い、「はぁ、やっぱり見てしまったか」という感じでした。私も詳しくありませんが政治の腐りようといったら日本の比じゃないようです。有力なふたつの政党、その与野党両方が自分たちの過激派支援者たちに拳銃をばら撒くそうで、選挙前には銃撃戦などで毎日のように死者がでるという有様ですが、国民はそれを正す術を知りません。貧富の差もひどく、国民のほとんどが“ワーキングプアー”です。
そんな国ですから、私はジャマイカの障害児施設なんてそれはそれは悲惨だろうと予想していました。きっと本棚みたいなところに障害児が寝かされていたり、入ったとたん汚物の臭いがしたり、子供がみんなガリガリだったりするんだろうと予想し、覚悟を決めて行きました。

ところが行ってみると腰が抜けるくらい小ぎれいな施設でした。中庭には大きな木が一本あり入居者の子供たちが戯れ、寝室も大きな部屋にベッドが20台くらいずらっと並んでいるとはいえ男女の寝室は分かれており、コンピュータが1台ある教室のような部屋や、おもちゃがたくさん置いてある遊び部屋みたいなものもあり、私の予想していたのよりもはるかに整った環境でした。
私が訪問した時間がたまたま入浴が始まる時間帯で、少し覗いてみると、やはりイモ洗いではありましたが子供たちが汗臭いということがないことから、それなりに頻繁に入浴があるらしいことが伺えました。ご飯もちゃんと食べているようでぽっちゃりした男の子なんかもいてほっとしました。ゲットー(貧民街)の子供たちなんかよりはずっとマシな環境に暮らしているんだなという感想を持ちました。

入所者はほんとに人懐っこくて私自身とても楽しかったです。人懐っこいというか、訪問者があまりいないので職員以外の人と触れ合う機会がとても貴重という感じでした。
小人症の男の子と知的障害の女の子が私を気に入ってずっとひっついていました。小人症の男の子が顔にいっぱい目くそや食べかすをひっつけているので私が拭いてあげようとすると嫌がって逃げていきました。3回くらい隙を見て拭こうと試みましたがやはり嫌がって拭かせてくれませんでした。きっと入浴の際には号泣して大暴れして抵抗しているんだろうなと思うとちょっとおかしかったくらいです。お風呂が嫌いな子供そのまんまで、ほんとうに愛らしかったです。知的障害の女の子はみんなに「あんた今日もセクシーねぇ!」とからかわれるほど色っぽい格好をしていました。スカートが短いというか、サイズが小さくてパツンパツンで歩くとすぐまくり上がってくるのです。施設内の環境がわりと整っているとはいえ、子供たちの着ている服はやはりくたびれている感じではありました。でも彼女はそのパツンパツンのスカートでいいみたいでした。女性としての自尊心が芽生えているアピールのようで、みんなにセクシーねと言われるとへへへと嬉しそうに照れ笑いしていました。

もちろん、問題点もたくさんあるようでした。
知的障害と盲目の重複障害の成人男性が階段の踊り場で全裸で横たわっているシーンには一瞬びっくりしました。職員に聞くと「彼は服を着せてもすぐ脱いでしまうのでそのままにしている。服を着るのをとても嫌がる」とのこと。だからってペニス丸出しの状況はあんまりじゃないですか、せめて布の一枚でもかぶせるとか・・・とお願いしてみると、あとで服を着せておくとのことでしたが、きっとまた翌日には同じ光景があるのだろうと思いました。
なぜ彼が服を着たがらないのか」という疑問を持たないからです。原因を探り解決法を見出すという作業をしようという思考が浮かばないのです。

ジャマイカの教育はまだまだ改善が必要です。
留学時代によくしてもらっていた友人の家族のおうちを今回も頻繁に訪れていたのですが、ある日、そのおうちに住み19歳の女の子が甥っ子の小学1年生の男の子の宿題を見てあげていました。彼の宿題は、5つの数の違う数字を大きい順に並べるという算数の問題でした。11、23、14、19、25という5つの数字を一番小さい数から一番大きな数へと並べ替える問題を甥っ子は全く解くことができません。彼女は甥っ子が間違った答えを言うと「違う、それじゃない」と叱りますが、なぜ正解じゃないか説明をすることはないので、甥っ子は結局あてずっぽで答えるしかありません。私が「私が見るよ」と言い宿題の監修役を買って出て分かったことは、甥っ子はそもそも1から10までカウントすることすらできないということでした。1から10まで数えられない子供がどうやって11と23のどちらが大きいか分かることができるでしょうか。私はとりあえず甥っ子に1から10まで数えられるよう繰り返し教え込むことから始めました。
売店で店員がお釣りを計算できないことも多々あります。読み書きをできない大人がざらにいて、私は識字率85%というのも疑わしいものがあると思っています。もちろん優秀な人もたくさんいるのですが、ジャマイカの教育のレベルはまだまだ低いのが現状です。

例えば施設の職員が服を着たがらない人を見て「一体なぜなんだろう」という疑問をも持たないというのも(疑問を持ち解決しようとしてもできなかった経緯があるんだろうとは思いますが)、ものごと全てに対する気づきの狭さ、ひらめきの少なさ、思考の及ぶ浅さが原因のように思えたのです。最近よく思うのが、やさしさには想像力というかしこさが不可欠だということです。勉強ができない人が人にやさしくできないという意味では決してなくて、人にやさしくするには相手が置かれている状況を見る力、そしてそこから何がその人に必要かを見つける力が必要だということです。
ジャマイカ人にはその力が少し足りないかもしれないと感じることあれば、「こんな出逢ったばかりの人にこんなに優しくしてもらうのは初めて!むっちゃいい人!!」と感激したこともあったし、結局は日本であろうとジャマイカであろうと心優しいひともそうでない人もいるというのは同じなのかもしれません。誤解のないように言っておきますが、施設の職員が優しくないという意味ではありません。決して多いとは言えないお給料であのようなハードな仕事をするには人を助けたいという気持ちがなければできることではありません。

入浴時間に、みんな風呂場に行ってからっぽになった寝室のずらりと並んだベッドのひとつに、ポツンとひとり忘れ去られたように小さな子供が横たわっていました。見に行くと、その子も身体・知的重複みたいで、半開きの目もボーっと焦点が合っていませんでした。口元にはさっき食べた食事が口からこぼれてそのままになっており、ハエが飛び交っていました。私が持っていたタオルを濡らして拭いてあげると、焦点が合っていなかった目が少し動いてこちらを見ました。話しかけても反応は薄いものの、分かってはいるようでした。
なんだかその時、ヘルパー研修で行った老人ホームの入居者を思い出しました。
忙しい職員は入居者と会話を持つ余裕がなく、話しかけてきたとしても、まるで幼児を相手にしたような喋り方をしてくる若い職員とまともに話をしようという気にもなれない入居者が喋らない日々を送っているうちに、脳の老化が進み認知症が進んでいく、あのお年よりたちを思い出しました。
あのお年よりも、ジャマイカの施設のあの子供も、もっと刺激があればもっとアクティブになれるのに、もっと感情のある毎日を送ることができるのに、そう思いました。

ましてや、たくさんの可能性を持ったあんな小さな子供が、本来の力を発揮する機会を与えられず、ただただあんな風に時間が流れていく毎日を思うとつらかったですが、つらいといってもそこへ何も直接働きかけることをしない自分ってやっぱり偽善で無力なんだろうか・・・とか、考えても仕方ないから考えないでいようと決めていたことをやっぱり考え出したりしてしまいました。


嬉しかったのが、わずかですが訪問者があるということでした。
身体障害の女性入居者に「友達なんだ」と毎週会いに来る親子。私がその女性とお庭で日向ぼっこしていると、急に彼女が誰かを見つけるなり小さな足で立ち上がり、ものすごく嬉しそうに叫ひだしました。やって来たのが6歳くらいの男の子とそのパパ(若くてハンサムで、ドッキーン!!かっこ良かったなぁ〜)で、彼女とたわいのない話を始めました。もう何年も、しょっちゅう彼女を訪れているとのことでした。彼女の顔がほんとうにほころんでキラキラして、幸せが絵になったみたいなほんとうに愛おしい光景で、私はなんて素敵な場面に遭遇できたんだろうと感動してしまいました。
車椅子の女の子の入居者の幼馴染の女の子はほとんど毎日学校帰りに遊びに来ているみたいでした。ヤンチャな男の子の入居者がいたずらしたりすると「こらっ!」と怒ったりするお姉さん的存在になっていて、職員も助かっているだろうと思いました。
ほんとうに、彼らがやって来るだけで入居者のみんながどれほど幸せな気持ちになっているだろう。
今でもみんなのあの嬉しそうな笑顔を忘れることはできません。

ジャマイカは全てがまだまだこれからです。政治、教育、家庭問題、エイズ、犯罪、ほんとうにどれを取っても問題だらけです。「障害者が地域で暮らす」なんていう概念が生まれるようなレベルではありません。道はガタガタで車は殺人鬼のようなスピードで走っており、銃犯罪も多く、どこもかしこもバリアだらけで誰にとってもサバイバルな環境です。道で障害者に出会うことはほとんどなく、おそらく彼らは家にいるか施設に入っているか・・・。

そんな中でも今回13日間の間に、杖を頼りにビュンビュン車が行きかう大通りをひとりで歩いている視覚障害者をふたりと、私でも歩きにくそうな道をグングン進んでいく車椅子の男性ひとりを見かけました。厳しい環境の中でも自由を求め、危険なリスクを背負ってでも街へ出て行く彼らを尊敬すると同時に、この人たちが発信源となってジャマイカの障害のある人たちももっともっと外へ出て行くことができたらいいのになぁ、と願いました。

願うくらいしかできない私が実際にジャマイカでできたことは、例えば友達の甥っ子に算数を教えることとか、例えば道で重い荷物を運んでいる足の悪いおばさんの荷物を運んであげるとか、例えばお世話になったおうちのキッチンを磨き上げるとか、そういう小さいことでしかありませんでしたが、そのほんの小さな行動の中からも思いやりは広がっていくことができることを体感しました。甥っ子は本当に私によくなつき、とりあえず算数の問題は、半分あてずっぽながらも、すでに選択した選択肢を消していく消去法を覚えさせたことで前よりは少しだけスムーズに問題を解くことができるようになり、私は嬉しくて「君は天才だーーー!!」とベタ褒めしまくっていました。こういう小さな変化のひとつひとつが、より良い環境を作っていく上でとても大切だと信じています。

ジャマイカへはまた来年行きたいなと考えています。
持っていったあの可愛らしいおさがりのお洋服をきっと着てくれている彼ら彼女らに会いに、今度は剣玉やこまなんかを抱えて、またあの施設へ行こうと思っています。